1920–1930年ワイマール映画、プロイセンをテーマに——制服、階級制、規律が権威主義の視覚的隠喩。ルビッチとパプストの傑作。
1920年から1930年にかけてのヴァイマル映画は、帝政への郷愁ではなく、階級、服従、権威主義システムの脆さに対する批判的な考察として、プロイセン的な美学を中心とした独自の映像言語を発展させました。制服、階段、幾何学的な空間構成が、これらの映画の文法となりました。撮影監督は、そこに権力を可視化する機会を見出しました。逆光に照らされた制服、影のある壁の前に立つ将軍、大理石の床に置かれた将校のブーツ――これらは単なる装飾ではなく、イデオロギー的な映像表現でした。
エルンスト・ルビッチは、この中で「ゾクゾクするようなユーモア」を発展させました。これは、巧妙な視線やカットによって、不条理な権力関係が暴露される「上からの転覆」でした。F.W.ムルナウやG.W.パブストにおいては、より暗いものでした。出口のない状況を示唆するカメラの動き、空間を檻のように見せる被写界深度。編集では、エリプシス(省略)が用いられ、儀式の人工性を明らかにするために、それらを飛び越えました。
セットにおける映像戦略
セット自体では、具体的には次のようなことが行われました。制服は、その硬直したシルエットを強調するために、逆光で撮影されました。階段を上る人物は下から撮影され、その上昇は優雅さではなく、力の行使として描かれました。顔は影にされ、感情の冷たさを伝えるために、目だけが照らされました。女性――愛人であれ妻であれ――には、しばしばぼんやりとした柔らかい光が当てられ、彼女を非物質化する一方、制服を着た男性は、角張って直線的に保たれました。
その後、ナチス政権下では、このジャンルは純粋なプロパガンダに堕落しました。ヴァイマル時代のプロイセン映画の批判的な鋭さは、英雄的なものへと歪められました。今日の制作にとって、この違いは重要です。画面上で権力を賛美することなく可視化したいのであれば、光、構図、編集のリズムがどのように機能するかを正確に知る必要があります。ヴァイマル時代のプロイセン映画は、ノスタルジックな映画というよりは、映像言語がどのように政治的なメッセージを伝えるかの教科書なのです。