権力と服従に基づくプロパガンダ映画——軍事階級が物語の構造。歴史的には:ナチス映画、ソビエト国家映画。
コマンドフィルムは、その映像構成と編集のリズムですぐに識別できる。カメラは権威には上を向き、大衆には下を向く。物語構造は心理的葛藤ではなく、命令系統に従う。上には決定があり、下には実行がある。その間には疑いはない。これが骨子である。ナチスの映画では、総統が考え、将軍が命じ、兵士が従い、群衆が歓呼するという形で機能した。各シーンは、カメラアングル、ショットサイズ、編集スピードによって、この階層構造を視覚的に再現する。話す者は高い位置に立ち、聞く者は足並みを揃えて頷く。
映画技法そのものが命令となる。コマンドフィルムにおけるモンタージュは有機的ではなく、規律正しい。群衆シーンでは速いカット、演説では長いショット。観客は疑問を持つのではなく、従うことを求められる。これが、葛藤から緊張が生まれる古典的な劇映画とコマンドフィルムを根本的に区別する点である。ここでは、繰り返しから明確さが生まれる。ソ連の国策映画も同様にこれを利用した。集団モンタージュ――労働者、穀物、機械、顔がリズムを刻む――は、進歩の名の下での命令服従の視覚的実現であった。
実際には、脚本でそれはすぐにわかる。内的な葛藤はなく、外的な抵抗しかない。主人公は疑わない――実行するか、教えられるかだ。セリフは短く、簡潔で、指示的である。感情は個人的ではなく、集団的である。俳優は演じるのではなく、機能を体現する。現代のコマンドフィルム(そしてそれはまだ存在する)は、同じ手段で、ただより巧妙に機能する。兵士を高次の計画の実行機関として描く戦争映画、権威的なナレーションを持つドキュメンタリー、階層を自然法則として描く産業映画である。
その巧妙な点は、コマンドフィルムがイデオロギーだけでなく、語りの形式であることだ。意図的にプロパガンダを行わなくても、その構造を利用することはできる――しかし、そのメカニズムを意識しなければならない。カメラを上に向けて、群衆シーンに音楽を被せる者は、すでに命令しているのだ。編集は政治である。