極限条件に対する主人公の身体的または心理的抵抗から緊張が生じるドラマ——海、山、荒野、獄舎。
サバイバル・ドラマは、極めて基本的な前提に基づいている。それは、逃げ道のない状況に置かれた一人の登場人物である。物語を動かすのは、古典的な意味での「筋書き」ではなく、人間と状況との絶え間ない対立である。これは、アクション映画やアドベンチャー・ドラマとは根本的に異なる。それらの作品では、外部の敵や目標がプロットを形成するが、このジャンルでは、登場人物がどれだけ耐えられるか、そのためには何が犠牲になるのか、いつ崩壊するのか、といった内面的な葛藤からドラマが生まれる。観客は物語を追うのではなく、ある「状態」を追体験するのである。
撮影現場では、普段とは異なるリズムが求められる。古典的な三幕構成は、抵抗のエスカレーション曲線となる。第一段階:状況把握と現実認識(何が起こったのか?どれほど深刻なのか?)。第二段階:戦略と最初の挫折(身体が限界を知る)。第三段階:単純化または悟り――登場人物は諦めるか、変容するか、あるいは原始的な内なる道を見出す。『オール・イズ・ロスト』や『キャスト・アウェイ』では、外的な出来事はほとんど起こらない。全ての緊張感はミクロな変化にかかっている。手が武器になる、一つのミスが致命的になる、失敗は劇的ではなく、静かに描かれる。
これは、カメラと編集に精密な要求を突きつける。単調さを道具として使う必要がある――退屈ではなく、消耗を記録するような、絶え間ない繰り返しである。火を起こそうとする三度目の手。同じ地平線、その後の夕日。カメラアングルはしばしば安定したままで、変化は細部に宿る。光は装飾ではなく、語り手となる。顔が影になるのは、登場人物がもう太陽の下に出られないからだ。
サバイバル・ドラマは、セリフなしでも成立する。その最も近い親戚は、身体言語による語りである――ドキュメンタリー的な美学やミニマル・シネマと比較できる。これはプロデューサーにとってはリスクが高い。売るためのスペクタクルはなく、ただ一人の人間が自己を解体していく様を見せられるという強要があるだけだ。しかし、そこにこそ、このジャンルの力がある。観客は気をそらすことができない。登場人物が息をするとき、観客も息をしなければならない。これは心理ドラマではなく、生物学的な体験なのである。