フレームからの意図的な離脱——被写体が出ていく、隠れる。不安と緊張を生み出す。
よくあるシチュエーションだ。主人公が画面の外に出てしまったり、カメラのパンによって手前の物体に隠れてしまったり。これはミスではなく、デカドレ(Dekadrieren)、つまり「フレーミングからの逸脱」だ。これは視覚的な鼓動のように観客を不安にさせる。古典的な構図が重要なものをすべてフレーム内に収めるのに対し、デカドレは意図的にそのルールを破る。フレームは受動的な舞台ではなく、能動的なドラマツルギーの武器となる。
撮影現場でこれが偶然起こることは稀だ。人物の動きや物体が画面空間から出ていくようにカメラを配置する――あるいは、意図的にタイトにフレーミングして、体の一部が切れるようにする。俳優が取引の交渉をしており、カメラが相手を追う――すると突然、主人公は消える前に、端に影のシルエットとしてしか見えなくなる。これはセリフなしで物語的な緊張感を生み出す。特に『対決のシーン』では効果的だ。画面内での不在が、不在による存在感を生み出すのだ。
実践的には、画面の奥行き(Bildtiefe)と空間内の軸に対する確かな理解が必要だ。デカドレを行う際、観客はそれでも人物がどこへ行ったのかを理解できなければならない――そうでなければ、意図的ではなく混沌として見える。古典的な例はこうだ。誰かがフレームの左側に立っており、カメラがゆっくりと右にパンする。そのパンの最中に、ドア枠や壁が顔を隠す。動きは読み取れるが、コントロールは役者ではなく、あなた(監督)にある。
デカドレはネガティブスペース(Negative Space)と密接に連携する――ただし、それは受動的ではなく能動的だ。不在をデザイン要素として利用する。これはスリラー(方向感覚の喪失)、ドラマ(孤立)、そしてコメディ(フレームアウトによるタイミングギャグ)でも機能する。ただし、それが単に視覚的にクールなだけでなく、物語をサポートしていることを確認すること。観客は不在によって何かを「感じる」べきだ――不快感、緊張感、喪失感――混乱するのではなく。