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フランス映画理論:監督は映画の著者。ゴダール、ヴァルダ——個人的なシグネチャーは絶対。

フランスのヌーヴェルヴァーグは、非常にシンプルなテーゼを広めた。監督は脚本を書くだけでなく、最初のアイデアから最後の編集まで、映画を執筆するのだ。これはマーケティングではなく、職人哲学である。ゴダールは脚本の代わりに鉛筆書きのメモで撮影し、ヴァルダは自身のダイアリーを映画化し、トリュフォーは自身の記憶を翻案した。カメラはペンになり、編集室はタイプライターになった。これは、プロデューサー、脚本家、監督が工場のように働く古典的なスタジオシステムとは根本的に異なる。そこでは、それぞれが自分の役割を果たすだけで、それで終わりだった。

現場では、これは非常に具体的な意味を持つ。即興は緊急事態ではなく、手法なのだ。作家主義映画は自由な空間を必要とする。なぜなら、最終的な意味はしばしば撮影中に生まれるものであり、事前に生まれるものではないからだ。俳優がセリフを違う言い方をする、光が突然ちょうど良い具合に当たる、カメラの動きが5メートル延長される――そしてそれは、単なる描写ではなく、物語の一部となる。これには、撮影監督や照明技師の勇気が必要だ。監督がそのシーンを再発明したばかりなので、次のテイクは全く異なるものになる可能性がある。トリュフォーの『アメリカの夜』や『家庭教師』は、厳格な指示から生まれたのではなく、監督、俳優、映像素材との絶え間ない対話から生まれたのだ。

古典的な翻案との違いは本質的だ。文学作品は解釈されるが、作家主義映画は書かれる。つまり、監督の個人的な筆致は、趣味の問題ではなく、構成要素なのだ。フレーミング、編集のリズム、さらには演技の不完全さといった、あらゆる形式的な決定が、意味を伝える力を持つ。そのため、こうした映画は時に見るのが居心地の悪いものとなる。それらは、意図を隠すことを拒否するのだ。

編集室では、それが過激なほど可視化される。古典的な映画がテイクの中から選択するのに対し、作家主義映画はモンタージュを通して書き直す。物語が別の語り方で可能になるため、シーケンスが並べ替えられる。生素材は、あらかじめ定義された計画の構成要素ではなく、組み立てられることによって初めて完成する思考の原料である。ゴダールの無秩序なジャンプカットや、ヴァルダのエッセイ的な映像シーケンスは、古典的な意味での間違いではなく、文なのである。このアプローチを採用する者は、理解しなければならない。監督は脚本への奉仕ではなく、動く映像の作者性なのだ。

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