民謡的なメロディと陳腐なプロットの娯楽映画——1920〜30年代の大衆向け作品。意図的に儚い構成。
「ガッセンハウアー映画」という現象は、芸術作品というよりは、ヴァイマール共和国時代の製作ロジスティクスや映画マーケティングと関係が深い。当時のヴァラエティ・シアター(ほとんどのプログラム・シネマがそうだった)に座っていた観客は、アクロバットや生演奏の間に、ヒットソングのように構成された短い劇映画を観せられた。覚えやすく、繰り返しが多く、感情的に単純で、40〜60分で終わるものだった。物語は、コーラスを正当化する歌、ダンス、コミカルな状況といった「番号」のための口実だった。
撮影現場では、脚本は骨組みに過ぎなかった。確立されたヒット曲のアレンジがまずありきで、その周りに物語が作られた。リヒャルト・オスヴァルトやヴィリ・フォレストのような監督は、既製のメロディーと、リリアン・ハーヴェイのようなスターと仕事をした。彼女は、その歌を3つのバリエーションで歌わなければならなかった。一度は憂鬱に、一度は生き生きと、一度はコーラスとのフィナーレで。カメラはパフォーマンスに追従し、その逆ではなかった。照明は機能的。編集はリズムに合わせて。それは怠慢ではなく、賞味期限のある職人技だった。映画は10ヶ月上映され、その後消えることになっていた。
その美学は、芸術映画や心理ドラマ(参照:表現主義映画)とは根本的に異なっていた。ガッセンハウアー映画は、雰囲気よりも明快さ、独創性よりも認知度を必要とした。俳優は、衣装替えが非効率的だったため、3つのシーンで同じスーツを着ていた。カットはハードで、トランジションはなく、ラジオCMのように唐突だった。顔の蛍光灯は暗い劇場に届くように意図されており、歌のシーンは正面から、平坦に、影なしで撮影された。親密さは考慮されなかった。
逆説的だが、まさにこの機能性が、これらの映画の一部を生き生きとさせていた。お金や時間を気にしなくてよいと、過剰なまでの深みにはまることがあった。効率が必要だと、直接性を見出すことがあった。1930年代初頭のガッセンハウアー映画の製作は、3〜4日で撮影できた。それは大胆さを強いた。試行錯誤や、安全なテイクを5回撮るようなことはなかった。結果として、手の込んだ製作ではしばしば失われる、無意識のカメラダイナミズムが生まれた。
今日、これらの映画は映画愛好家ではなく、歴史家が興味を持つ対象となっている。しかし、キャメラマンにとっては、映画的なエンターテイメントが、映画的な神話がなく、素材と観客だけである場合に、どのように機能するのかという点は興味深いままだ。ガッセンハウアー映画は、その率直な答えである。