野生動物——通常は肉食動物——が主要な脅威となるジャンル。『ジョーズ』が定義した:人間対自然、見えない存在による緊張。
捕食者は、単にミザンセーヌの脇役として存在するのではなく、ドラマツルギー的な力となる。人間が敵対者となるホラー映画やスリラーとは異なり、捕食者映画は根本的な非対称性によって機能する。動物は動機や計画に従わない。本能に従って行動するのだ。これは、心理的なものではなく、純粋に物理的な緊張感を生み出す。
撮影現場では、具体的には示唆的なモンタージュが、映し出された動物に勝る。『ジョーズ』を研究した者なら(そしてあらゆる作品がそうすべきだ)、すぐに気づくだろう。サメはめったに姿を見せず、ほとんどオフスクリーンで動いている。サウンドデザインが重要だ。カメラは獲物の視点から下(海面へのローアングル)を、後に捕食者の視点から上を見る。これらの視点の切り替えは、露骨な暴力なしに脆弱性を生み出す。編集では、モンタージュのリズムによって機能する。信号(血の海、音楽のテンポ)のゆっくりとした蓄積、そしてカットの加速。有名なブロディが桟橋にいるシーンは、3秒間に5回のカットを使用している。これは見せるためではなく、無力さを運動的に伝えるためだ。
『MEG ザ・モンスター』や『ディープ・ブルー』のような現代の捕食者映画は、CGIを使用するが、示唆がなぜ効果的なのかをしばしば忘れている。観客の脳は、その空白をより恐ろしいもので埋める。平坦でリアルな動物は、見えない敵よりも力が弱い。だからこそ、サウンドスケープと空間構成(脅威がカメラに対してどこで動いているか)は、ハイエンドなレンダリングよりも強力に機能するのだ。
物語の構造は、ほとんどの場合、エスカレーションに従う。最初の対立、当局の不信、否定の段階、そして制御不能な混乱。これはジャンルの特徴ではなく、むしろ、優れた生物に対する人間の弱い立場に起因する。交渉の余地はない。生き残るか、敗北するかだけだ。この残酷さは、私たちに原始的な何かを思い出させるからこそ魅力的だ。知性が常に私たちを守ってくれるわけではない、ということを。