日本の物語形式——主人公がエピソード的な場面を通じて進み、従来の劇的弧線がない。小津の特徴。
セットで、物語がクライマックスに向かうのではなく、ただ流れていくのを感じた経験はありませんか?それが「流れもの」です。これは日本の映画に由来する物語の原則であり、古典的な西洋のドラマツルギーを演じることを拒否します。提示・葛藤・解決ではなく、登場人物や家族の日常的な瞬間、小さな変化、繊細な感情の掘り下げを追っていきます。緊張感は外部の出来事から生まれるのではなく、ほとんど見過ごしてしまいそうな変化を注意深く観察することから生まれます。
セットや編集においては、これは古典的なプロット重視の映画とは全く異なる作業方法を意味します。クライマックスに向かって撮影するのではなく、移行を記録するのです。小津安二郎はこの手法の達人でした。彼のカメラアングルは静的で、ほとんど正面から、カットは驚くほど数学的に正確です。しかし、まさにそれによって、注意は内面へと向けられます。家族が昼食をとっている、誰かが引っ越しについて話している――そして突然、何かが根本的に変化したことが理解できます。大掛かりなシーンや、葛藤のクライマックスは必要ありませんでした。
是枝裕和は、この原則を現代映画に翻訳しました。『そして父になる』や『万引き家族』を見ると、感情的な構造がエピソード的で、ほとんど一連のタブローのようであることがわかります。これにより、撮影監督は異なる方法で作業できます。強調を伴う古典的な演出ではなく、空間構成における精度が必要です。構図は、配置、距離、深さによって、登場人物間の関係性を示す必要があります。ドラマによってではなく。
西洋の実践との最大の違いは、流れものは意図的に葛藤による緊張感を排除することです。代わりに、親密さからエンゲージメントが生まれます――私たちはこれらの人々を知り、時間をかけて彼らを観察します。これには観客と映画チームの忍耐が必要です。編集では、テンポやリアクションではなく、リズムと静寂にトリミングします。これは、空間と時間を障害ではなく素材として扱う語り方です。もしこれが興味深いなら、西洋のスリーアクト構造と東洋の物語モデルとの違い――あるいは日本の監督たちが間(ま)――つまり余白――をどのように扱っているか――を調べる価値があります。