動く画像のメディウム——芸術と職人技の融合。投影された映像序列とその心理効果によって定義される。メディウム自体であり、映画館ではない。
撮影現場にいればすぐにわかる。シネマとは映画館のことではない。それはカメラに収めるもの――写真や演劇にはできない、観客の脳裏に何かを呼び起こすように、動き、時間、光を演出する能力のことだ。違いは連続したコマ送りにある。写真は一瞬を凍結させるが、シネマは個々の画像を連続させることで動きの錯覚を生み出し、それによって全く新しい心理的現実を創造する。
実践においては、それは構図や照明を計画するだけでなく、カメラが空間をどのように移動するか、カットの速さ、フレームレートをどのように選択するかを計画することを意味する。24fpsの映画は60fpsの映画とは異なって見える――技術が違うからではなく、シネマが時間的知覚を通して機能するからだ。観客はただ座って見ているだけではない。その目は、カットのリズム、カメラの動き、タイミングによって――最良の意味で――操作される。それが芸術形式なのだ。
大きな違いは技術に現れる。被写界深度をどのように使って注意を誘導するか?画面内の動きを画面外のカットとどのように対比させるか?観客が落ち着かなくなる前に、どれくらいの長さショットを維持するか?映画はこうした決断から生まれる。何もないドアの10秒間の静止ショットは緊張感を生む。同じドアが静止画では:何も起こらない。シネマは時間そのものの操作なのだ。
したがって、このメディアは、その場所――スクリーン、モニター、あるいはスマートフォン――によって定義されるのではなく、動きとモンタージュの文法によって定義される。リュミエール兄弟は、毎秒16コマの投影が人間の神経系に何かを引き起こすことに気づいたから、これを発明した。この効果をマスターすることは技術であり、それを意識的に利用することは芸術である。それがシネマなのだ。