男女キャラクターの衝突——緊張とユーモアを生む。古典的なドラマ構造。
二人のキャラクター、男性と女性が出会い、根本的に異なる世界観、仕事のやり方、あるいは権力圏が衝突するとき、機能する物語上の摩擦が生じる。これは単なるロマンスの要素ではない。構造的な妙技なのだ。なぜなら、外部の敵対者なしに葛藤を生み出すからだ。もう一人のキャラクターが問題そのものなのだ。そしてその問題には、自分とは対立する性別がある。
ドラマツルギーとしては、二つの世界、あるいは一つの世界の中の二つの立場を構築し、それらを正面から衝突させる。ジャーナリスト対企業のCEO。野心的な弁護士対伝統的な家父長。兵士対古いカテゴリーでしか考えられない教官。撮影現場では具体的に、視点の転換が可能になるようなシーンが必要だ。屈服ではない。転換だ。最後には、相手にも一理あると両者が見えるようにならなければならない。解決策は、どちらかが勝つことではなく、両者が考え直すことを強いられることだ。
演出においては、キャスティングが決定的に重要だ。二人の俳優は、たとえキャラクターの立場が対等でなくても、対等に渡り合えるように見える必要がある。一方が言葉で明らかに優位に見えたり、身体的に支配的すぎると、バランスが崩れる。カメラの位置、編集のリズム、空間の分割といったミザンセーヌで積極的に対抗措置を講じなければならない。対称的な構図は、キャラクターの階層が異なっていても、立場の平等性を強化する。非対称性は権力を表現できるが、ダイナミクスが機能するためには、一方を視覚的に圧迫してはならない。
ユーモアは、嘲笑からではなく、誤解と相互挑発から生まれる。一方をあまりにも戯画化すると、滑稽になり、緊張感が失われる。古典的な例が示しているように、重要なのは知的な競争、我を通すこと、両者ともに正当な立場であることだ。これは編集の流れ、アクションとリアクションのリズムで実現できる。言葉の応酬では速いカット、脆弱さの瞬間では長いショット――どちらかが間違いを認める時だ。