1980年代/90年代のジャンル。裕福な都市人物の心理崩壊を描く——『アメリカン・サイコ』『ウォール街』。富による狂気を通じた社会批評。
ヤッピー・サイコ・フィルム
1980年代は、古典的な狂気よりも、上昇志向の都市エリートの疎外感に焦点を当てた新しいタイプのサイコ・スリラーを生み出した。裕福な銀行家、弁護士、ブローカー — 外見は成功しているが、内面は崩壊している(主に)高価なスーツを着た男性たち。このジャンルは、レーガノミクス、規制緩和、「Greed is Good」の賛美という特定の歴史的状況から生まれた。そしてその背後には、映画が突然強迫的に記録しようとし始めた文化的な毒性があった。
その核となる原理は、対比によって機能する。あなたは、ペントハウス、ポートフォリオ、デザイナーズウェアなど、成功のあらゆる外的な指標を持つ男性(女性は稀)を見るが、彼は完全に空虚である。心理的な崩壊は、古典的なホラー・トロペスではなく、ファサードと内面の現実との間のますます奇妙な乖離として現れる。ここでは、精神病質は劇的に演出されるのではなく、些細なものとして存在する。それは名刺への執着、製品やブランドの綿密な列挙、そして真の人間関係を築く能力の欠如として現れる。狂気は日常の細部に宿っている。
セットや編集においては、これは具体的に現れる。映像言語は過剰刺激の傾向がある — クールでシャープな照明、香りの高いプロダクションデザイン、無菌的で過剰に決定されたように見えるインテリア。モンタージュはリズミカルで反復的になりうるが、突然の爆発や、狂気を結晶化した論理として提示する内なるモノローグによって中断される。カメラはしばしば、これらの人物を臨床的な距離で観察し、彼らの儀式や不条理な自己ブランディングにクローズアップで迫る。
決定的なのは、社会批判的な含意である。このジャンルは、そのような人物を生み出すシステムが病理的であることを示している。ヤッピー・サイコは、アイデンティティを消費に結びつけ、人間関係を取引的な論理に置き換える資本主義の論理的な帰結である。だからこそ、形式的には心理ドラマのように見えても、この映画は風刺として機能する。我々が見ているのが病気の物語なのか、それともシステム批判なのかというこの曖昧さが、このジャンルの最大の強みである。