歴史時代を舞台にした劇映画——衣装、セット、音響が時代性を追求。現代ドラマの対極。
時代劇は、現代劇とは全く異なる思考様式を監督に要求する。あなたは現在を基準として作業するのではなく、物語を置く時代によってあらゆる決定を正当化しなければならない。それはビジュアルデザインから始まる。照明、色彩、カメラワークは、その時代の素材に従属しなければならない。18世紀のシーンは、現代のオフィスドラマと同じデジタルの明瞭さと精度で撮影することはできない。映像の質そのものが、声明となる。
最も大きな実務的な課題は、細部にこだわりすぎない本物らしさにある。単に衣装のハンドブックを撮影するだけではいけない。その時代の動きの質、歩き方、体の緊張感を理解することが重要だ。コルセットをした俳優は、異なる動きをし、異なる呼吸をする。それは撮影前に、監督が予期していなければならない。同時に、博物館の教育に陥ってはいけない。映画は歴史の授業ではなく、物語として機能しなければならない。ドキュメンタリー的な正確さと物語的な自由のバランスが、成功と退屈を分ける。
音響デザインに関しては、多くの監督は理解が足りない。時代劇のサウンドは現代的であってはならない。光沢があり、リバーブのかかったフォーリー効果は使えない。石畳の上の足音は、道が実際に未舗装であれば異なる響きをする。馬のいななきは、エンジンの騒音とは根本的に異なる形でシーンを特徴づける。これらの詳細は、編集段階だけでなく、撮影計画の段階から、サウンドデザイナーや編集者との緊密な協力が必要となる。
技術的には、時代劇は自由も提供する。動きのボケを、不自然に見えずに、より多く使用できる。観客が無意識のうちにその時代と結びつけるため、遅い編集リズムが機能する。多くの現代の監督は、この心理的な要素を過小評価している。アクション映画の編集技術で時代劇を撮ろうとすれば、最初のシーンが終わる前に、内的な信憑性を失ってしまう。