婚姻危機、不貞を中心とした物語ジャンル——室内心理劇。ベルイマン、ゴダール、リンクレイターが定義。
夫婦間のドラマは、古典的なメロドラマとは異なり、外面的な破局よりも親密さの侵食に興味を持つ。観客は二人の人間が同じ部屋にいるのを見守り、すべてがうまくいかなくなることは、視線、間、そして語られないことの中に起こる。それがこのジャンルの核となるエネルギーである。ベルイマンが完成させた「室内心理劇」だ。『ある結婚の風景』や『人形の家』では、玄関の外に嵐があるのではなく、空気そのものが毒々しくなる。
セットではすぐにそれがわかる。焦点は演技のディテール、微細な動きに当てられる。触れ合わない手。引っかかる一言。長いテイクが必要だ。様式的な純粋主義からではなく、緊張が持続から生まれるからだ。ゴダールはそれを理解していた。『女は女である』や『気狂いピエロ』では、夫婦の関係はプロットの破局によってではなく、会話と空間的な配置によって定義される。編集は忍耐強く、カメラはしばしば静止している。日常を撮影するが、極度の心理的圧力下で。
このジャンルは、インディペンデント映画にも定着している。リンクレイターが示したように、『ビフォア・サンライズ』、『ビフォア・サンセット』、『ビフォア・ミッドナイト』は、古典的なドラマツルギーを持たない夫婦間のドラマである。二人の人物、対話、都市部または地中海のロケーション。関係の深い危機は、言葉から結晶化する。これはもはやベルイマンではないが、DNAは同じだ。
実質的に、これは仕事において次を意味する。沈黙で演技できる俳優が必要だ。音楽(もしあれば)は心理学を代替してはならない。せいぜい、それを縁取るだけだ。音響は決定的である。息遣い、セリフの間の沈黙、布の擦れる音。そして光。劇的なコントラストではなく、顔を露わにする自然主義的な光。夫婦間のドラマは華やかではない。それは残酷なほど正確だ。