制度的権力による犯罪解決の政治スリラー——警察、司法、国家がヒーロー。批評的なクライム・フィルムの対極。
法と秩序の映画 (Law-and-Order-Film)
お馴染みのパターンを知っているだろう。犯罪が起き、秩序(警察、検察、裁判官)が介入し、そして勝利する。道徳的な曖昧さやシステム批判によってではなく、制度的な能力と正当性によって。それが法と秩序の映画だ。しばしばシステムの欠陥、腐敗、失敗の側面を照らし出す古典的な犯罪映画とは異なり、このタイプは国家機構への信頼に焦点を当てる。女性警察官はシステムと戦う人物ではなく、彼女自身がシステムであり、それを実行するのだ。
現場では、視覚言語にそれがすぐに現れる。警察署、法廷、役所のオフィスは、明るく、合理的で、有能に演出される。捜査官は手順に従って捜査する。よく照らされ、まっすぐなカット、明確なモンタージュ。ドラマチックになるのは、道徳的な混乱によってではなく、正しい手続きの緊張感によってだ。検察官は、荒唐無稽な憶測ではなく、証拠に基づいた起訴を論理的に展開する。手続きへの信頼こそが、真の緊張感を生む。アメリカのテレビドラマシリーズ『LAW & ORDER』シリーズや、捜査活動そのものに焦点を当て、その批判には焦点を当てないヨーロッパの法廷スリラーを思い浮かべてほしい。
政治的には、これは文字通り保守的、あるいは法と秩序を重視する姿勢だ。「システムは腐敗している」とは見せず、「システムは正しく使えば機能する」と見せるのだ。観客は、懐疑主義ではなく、制度への信頼を強めて映画館を後にする。露骨すぎるとプロパガンダのように見えることもあるが、それは正直なジャンルの約束でもある。ここでは秩序が勝利し、それが満足感を与えるのだ。
フィルム・ノワールや、制度そのものが加害者となる『L.A.コンフィデンシャル』のような映画とは区別されるべきだ。また、ヒーローがシステムの外部で活動する自警団映画とも区別されるべきだ。法と秩序の映画は、システムをヒーロー、あるいは少なくとも機能する道具として必要とする。それはイデオロギー的には明確だが、映画的にはしばしば非常に効果的だ。