ディエジェシスより下の音声層——観客だけが聞こえ、登場人物には聞こえない。内的思考や夢の音楽。物語音響の逆。
お分かりだろう。ある登場人物が車に座り、窓の外を眺めていると、突然、物悲しい弦楽四重奏が聞こえてくる。映画の中の誰もラジオやiPodの音量を上げていない。その音楽は、その人物の精神世界にのみ存在し、観客には聞こえるが、周囲の登場人物が知覚できるものとは完全に切り離されている。これが「ハイポダイエゲーシス」である。物語世界の下にある音のレイヤーだ。
この用語は、ダイエゲーシス音楽(ダイエゲーシスを参照)の正反対を正確に表している。ダイエゲーシス音楽は映画そのものの中に存在する――結婚式のバンド、スピーカーからの歌――のに対し、ハイポダイエゲーシス音楽は純粋に主観的、感情的、しばしば無意識的である。それは空間内の音源からではなく、登場人物の内的知覚から直接来る。これが、心理的な映画語りの最も強力なツールの1つとなっている理由だ。
実際には、ハイポダイエゲーシスは主に3つのシナリオで利用される。内なる独白と意識の流れ(これは、話されるのではなく、考えられた声自体も含む)、夢や記憶のシーケンス、そして客観的な現実が主観的な音楽で彩られる感情的なサポートされた瞬間だ。デヴィッド・リンチは常にこれを利用している――『マルホランド・ドライブ』を思い浮かべてほしい。そこでは音楽のレイヤーが夢と現実の境界線を曖昧にしている。編集やサウンドデザインでは、ハイポダイエゲーシスはしばしばフィルタリング、軽いエコー、または空間的な距離感と組み合わされ、この音のレイヤーが映画の空間ではなく、内部で起こっていることを明確にする。
注意すべき点:ハイポダイエゲーシスは、あまりにもメロドラマ的に使用されると、すぐに操作的に感じられる可能性がある。微妙なアプローチの方が効果的だ――クローズアップの下の繊細なハーモニカ、思考シーケンスの下のドローンサウンド。音楽は内面の状態を反映すべきであり、それを圧倒すべきではない。一部の映画製作者は、そのような音楽の不在を意図的に利用することもある。心理ドラマで、他の人が音楽を使うであろう場所に沈黙がある場合、否定によって登場人物の内面世界はより強く強調される。