常に病気の不安を抱える人物——心理的緊張と黒いユーモアを同時に生む。サスペンスとコメディドラマの古典的手法。
撮影現場における「ヒポコンダー」(心気症者)は、自分自身を舞台にしてしまう人物である。その身体そのものよりも、その身体が崩壊するのではないかという強迫的な不安が問題となる。これはドラマツルギー的に価値がある。なぜなら、内面の葛藤が外へと押し出されるからだ。演技にそれがすぐに表れる。俳優は常に自分自身の内面に耳を傾け、あらゆる脈拍をチェックし、あらゆる痙攣を評価しなければならない。それは過敏性と偏執病の間を揺れ動く身体言語を生み出す。
ヒッチコックはこれをエレガントに利用した。メインテーマとしてではなく、危険が現実になったときにこそ人物を傷つきやすくさせる性格的特徴としてである。観客は、その不安が正当なものなのか、それとも投影なのかを知らない。それは心理的な摩擦を生み出す。一方、ビリー・ワイルダーはヒポコンダーをコメディの供給源として育てた。世界が崩壊していく中で自分が死ぬと思い込んでいる男――想像上の危機と現実の危機の間の乖離が笑いを生む。これは、我々全員が自分の身体を敵と見なす衝動を知っているからこそ機能する。
カメラにとって、これは具体的には、この内なる注意を可視化しなければならないということだ。マイクロな動き――目の動き、眉間のしわ、無意識にこめかみにいく手――を捉えるのに十分な近さで。動きはしばしば円形的で反復的である。同じチェック、同じ心配。これはヒポコンダーを、うつ病や不安な性格のキャラクターと区別する。それはメランコリックというよりも、自身の身体的危機に自己陶酔しているのだ。彼は自分自身の観客である。モンタージュでは、彼の心配そうな表情と、それが引き起こすものとの間の頻繁で素早いカットによって、これを強めることができる――かゆみが病変に、心臓の鼓動が心筋梗塞になる。心気症は現実の喪失ではなく、間違った物事の現実の鋭敏化である。それが彼を心理的に面白く、視覚的に捉えやすくしている。