1950年代の中国歌劇映画—飽和した色彩、凝った衣装とセットによる舞台的構図。香港初期映画の映像言語を決定づけた。
黄梅調(こうばいちょう)
黄梅調(こうばいちょう)のオペレッタは、映画製作者に西洋のリアリズム映画とは根本的に異なるアプローチを要求した。演劇性を敵視するのではなく、それと協働したのである。カメラは、衣装、誇張された身振り、手描きのセットを写実的に「捉える」のではなく、総合芸術作品として演出する必要があった。それは、照明における強く鮮やかな色彩、舞台の性格を強調する明確な明暗比を意味した。被写界深度は、女優とセットの間の平面を統合するのではなく、強調するために浅く保たれることが多かった。
1950年代の初期の香港映画、特にショウ・ブラザーズ・スタジオは、黄梅調をその視覚文法の基盤とした。そこでは、舞台の視点を模倣するのではなく、それを映画的に変容させることが目的であった。歌手たちは正面から撮影され、衣装は背景から際立つように鮮やかな色で彩られた。カメラは西洋のドラマよりも高く、あるいは低く配置された。これは舞台の視点への微妙な敬意であったが、映画的に実現されたものであった。カラーフィルター、暖色系のジェル、コントラストライトが標準装備であった。構図は対称的なパターンに従い、動きは振り付けられ、各ショットは絵画のように見えた。
技術的な課題は、この強烈な色彩の飽和度を、オーバーフローさせずに維持することにあった。この時代のカラーフィルム、テクニカラーであれ、中国のバリエーションであれ、感度が高く、露出ミスを許容しなかった。照明技師は正確に計算する必要があった。光が強すぎると手描きのセットが平坦になり、弱すぎると衣装がくたびれて見えた。顔と衣装を立体的に分離するために、強力な反射板や的を絞ったスポットライトが使用された。照明は構造的で建築的であり、後のヌーヴェルヴァーグが目指したような拡散光ではなかった。
1960年代から70年代にかけての香港カラーフィルムの美学への影響は、どれだけ強調しても足りない。このジャンルが商業的に衰退した後も、その映像設計のDNAはアクション映画やメロドラマに受け継がれた。飽和した色彩、演劇的な照明、絵本のように配置された構図への愛着である。香港の主流映画に、色彩と人工性が弱さではなく、シグネチャーであることを示したのは黄梅調であった。