1920–30年代のイギリス映画スタジオ——無声映画と初期トーキー映画を製作。スタジオ統合の中で消滅。
ブリティッシュ・インターナショナル・ピクチャーズ(BIP)は、1927年にエルストリーで、既存の大手スタジオに対抗する野心的なプロジェクトとして設立された。ウォール街の資本を元に、イギリスの製作物を国際市場で競争力のあるものにすることを目指した。同スタジオはサイレント映画とトーキー映画の両方を体系的に手がけ、独自のサウンドスタジオを運営し、充実した製作設備を備えていた。その哲学は、芸術的な野心ではなく、高い製作頻度による迅速な償却にあった。それは映画にも表れており、機能的な職人技ではあったが、実験的な意欲はなかった。
その運営上の強みはインフラにあった。BIPはジョン・マックスウェルやウォルター・サマーズといった監督を契約下に置き、安定した俳優陣と、リズムを加速できる編集室を備えていた。コメディ、クライム・ストーリー、ライト・ドラマなど、迅速に撮影・公開できる題材を製作した。これは重要だった。イギリス市場は小さく、ハリウッドからの競争は熾烈だった。継続的に作品を供給できない者は消えていった。BIPも結局消滅したが、それは別の理由からだった。
問題は品質ではなく、財務構造にあった。1929年以降、ウォール街からの投資が途絶え、トーキーへの移行でコストが増加すると、BIPは圧迫された。スタジオは、スターパワーなしの高頻度製作では収益性が保証されないことをすでに学んでいた。ドイツのUFAやイギリスのガモンツ・ブリティッシュがスターとの契約や確立された配給網によって保護されていたのに対し、BIPには機械しかなかった。燃料なしでは機械は動かない。同スタジオは1933年に解散し、インフラは買収されるか、他者の手に渡った。
当時の撮影監督や編集者にとって、BIPは最良の場合でも大量生産、最悪の場合は燃え尽きを意味した。職人的な水準は低くはなかったが、撮影期間と編集速度へのプレッシャーは熾烈だった。そこで学んだ者は、後にどこでも通用するか、あるいは壊れてしまった。BIPは今日、名前というよりは症状である。純粋な製作能力で、垂直統合されたスタジオに対抗しようとした試みだ。それはうまくいかない。決してうまくいかない。